童謡「里の秋」に秘められた戦時中の想い

今朝の読売新聞に、歌のふるさと(里の秋・・・山武市)という記事が掲載されていました。
「里の秋」や「お山の杉の子」などは戦争を支えた童謡として知っていましたが、「里の秋」の作詞者、斎藤信夫氏が千葉県山武市の出身であることは知りませんでした。
山武市は私の住む地域の隣の市です。
興味深く読んでいると「里の秋」が戦争に翻弄された歌だという事が分かってきました。
抜粋してまとめてみました。
関心をお持ちの方ご覧いただければ幸いです。
読売新聞社 千葉支局の許可を得て掲載しました)

作詞者の斎藤信夫氏は長年教師をしており、戦時中、国民学校の教師をしていた時に「星月夜」という曲名で、日米が開戦した1941年12月、戦場の父を思う東北地方の母子をイメージして書かれ、1番から4番まで歌詞があったといいます。
それが、1945年暮れにこの詩に曲を付けた海沼実氏に「復員兵を激励するために歌詞を変えてほしい」と依頼され、1番・2番は「里の秋」と同じですが、3番には父の武運を祈る一節があり、4番には将来兵隊になって国を護るというくだりがあったそうです。
3番を、南洋から帰還する父の無事を祈る内容に改め、4番は捨てて「里の秋」という曲名で、当時人気のあった童謡歌手の川田正子さんの歌で大ヒットしました。
山武市では最近斎藤信夫氏に光を当てる動きがあり、市の歴史民族資料館では昨年、童謡作家「斎藤信夫」展を開催し、写真・楽譜・ノートなどを展示したそうです。
市内の成東城址公園には歌碑が立ったそうです。

いつか、歌碑を見に行きたいと思いましす。

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