「母」小林多喜二の母の物語を観る

今朝も少し気温が下がりうす曇りで肌寒い陽気でした。



「母」小林多喜二の母の物語が山武郡市成東文化会館(のぎくプラザ)で上映されました。
映画を観て、いつの時代も母の子供に対する愛情は「山よりも高く海よりも深い」そう強く感じました。
ストーリーをかいつまんで書いてみました。


小林多喜二の母「セキ」は、秋田県釈迦内村で、小作農と小さなそば屋で生計を立てる貧しい家の娘に生まれました。
当時は地主に小作料を50%も払い、貧しくて娘を身売りする家も多かったそうです。
セキは15歳で小林家に嫁ぎ、長男が病死して、次男が多喜二でした。
文字が読めず字も書けなかったが優しい母でした。
一家は北海道に移り住み文房具屋を営んでいましたが、多喜二の父親は早く亡くなり、多喜二は叔父の世話で小樽高商(現在の小樽商科大学)を卒業し銀行に勤めました。
当時の銀行は一生涯楽に暮らせるほど高給でしたが、多喜二は貧しい人たちの味方になり小説を書き反戦を訴え続けて、特高警察が尾行するようになり銀行を首になりました。
治安維持法が成立したのもこの頃です。
そして東京に出て小説を書き続けましたが、危険思想とみなされて特高警察に逮捕され虐殺されてしまいました。


変わり果てた多喜二を見た母は「自分の息子が悪いことをする訳がない」と、強く信じ続けました。
ある日、娘に誘われて協会行き、牧師さんからイエスの死について話を聞かされて、イエスと多喜二は同じだと思いを巡らせました。
晩年のセキは家族に看取られて静かに生涯を終えました。


多喜二の虐殺から後半は、皆さんが目頭を押さえていました。
私も涙を拭いても拭いても止まりませんでした。
戦争法や共謀罪を廃止しない限り庶民の人権が奪われることになる・・・そう強く感じました。
かなり前ですが、小林多喜二の「蟹工船」を読んだことがあります。
時代背景もありますが、船で働く人たちが動物以下の扱いで想像を絶する過酷な労働でした。

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