結婚50年の夫婦に市よりお祝いがある

先日の回覧板で、平成28年度中に結婚50年を迎える夫婦に市からお祝いがあるので該当者は市の社会福祉協議会に連絡してください。ということでした。
私達も今年の12月で50年になるので連絡しました。
食事券と特別の漆器の汁椀と、どちらか選んでくださいとのこと。
私は手元に残るものが良いので漆器の汁椀」をお願いしました。
地域の民生委員が敬老の日までに届けてくださるそうです。


一口に50年といっても、あっという間のような気がします。
色々と紆余曲折がありましたが強く印象に残っていることがあります。
それは、結婚して3ヶ月ぐらいの時に夫が韓国に海外出張したことです。
韓国とは1965年6月に日韓国交正常化の調印をして、1965年12月に批准書を交換してようやく日本と韓国が国交正常化したばかりでした。
その1年3ヶ月後の韓国への出張になりますが、当時は様々な調査が厳しくてパスポートの発行に何か月もかかったといいます。
夫はグラビア印刷機製造会社に勤めており業界では中堅クラスの会社でした。
印刷機は定評があり、当時ベニヤ板に木目印刷をする機械が売れ出した頃で、韓国でも東洋一という印刷会社に木目印刷機が輸出されて現地で機械の据え付けと現地の社員に印刷のノウハウを指導するのが仕事でした。

商社の方から現地での言動に対して特に厳しく注意を受けたそうです。
当時は一番近くて遠い国でしたから、うっかりした発言や行動がすぐ逮捕につながるような状況だったといいます。
ようやく昭和42年3月下旬に会社のメンバー3人と商社の方と一緒に韓国に行きました。
会社の上司と一緒に羽田飛行場に見送りに行ったことは、今でも鮮明に覚えています。


当時は電話はおろか手紙もままならず、1ヶ月半の出張でしたが無事に帰って来られるのかとっても心配でした。
現地の様子は商社を通して会社に入り、夫の個人的なことは会社から伝えられました。
帰国間際に手違いがあって足止めされているという情報も入ってきたことがあり、羽田に着くまでは落ち着かない1ヶ月半でした。


帰国後に夫から聞いた話では、韓国の会社の部長・課長クラスの方々からとても親切にされて楽しいことも沢山あったと。
そして会社からのお土産に、当時の価格で10万円ぐらいするという桐の箱に入った朝鮮ニンジンと豪華な硯箱をプレゼントされたのでした。
今からは想像もつかない日本と韓国の関係でした。



県外の友人からいただいたブルーベリーです。
娘が大好きで半分おすそ分けして、我が家でも小口に分けて冷凍しました。

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