「すいとんを食べよう」福岡地区福祉ネット主催

8月15日の終戦記念日は、福祉ネット主催ですいとんを食べよう」という行事を行っております。
すいとんを食べて戦争当時や戦後の様々な体験を語り合い、平和の尊さと二度と戦争をしてはならない。ということを次の世代に伝えることが趣旨です。



いつもOさんがすいとん作りをして下さいます。
私も早く行ってお手伝いしました。
具は茄子・カボチャ・大根・人参です。
麺つゆと味噌で味付して、美味しいすいとんが出来ました。


何人かの戦闘体験をご紹介します。
*Aさん(女性81歳)
私は昭和8年に旧満州で生まれ、新京特別市で暮らしていました。
昭和20年8月9日の深夜、突然ソ連軍機による空襲があり、これがソ連軍の参戦開始でした。
8月15日、天皇陛下玉音放送で、太平洋戦争が終わったことを世界中に伝えたにも関わらず、15日以降もソ連軍の攻撃は続いた。
日本の関東軍は逃げるように撤退し、“民間の市民は玉砕せよ”というような状況の中、私の家族や多くの人々は混乱の中を駅に向かいました。
汽車は動いておらず、やっと乗れた汽車も、途中で動かなくなり降車して各地を転々としてまた新京に戻った。
ソ連兵が自動小銃打ちながら略奪がひどかった。
逃げる途中私が転んだ時中国人がかくまってくれた。だから中国人に感謝している。
朝目が覚めて「あぁ、生きている」とも思う日々だった。
見つかれば男性は殺され女性は捕まえられるので、買い物をするのは子供だけだった。
その内に遺体や死臭に慣れてくるのが怖かった。
コレラになると収容所に入れられた。名前ではなく番号で呼ばれた。食べ物はコーリャンの入った餌のようなものがコップ1杯だけで、とても食べられなかった。
8月23日にようやく九州の博多に着いたら、アメリカ軍の検閲がありまるで動物扱いだった。
8月15日は自分の中では戦争は終わっていなかった。
だから私にとって8月15日は終戦記念日ではない。


*Kさん(男性)88歳
大正15年生まれ。初年兵で同期の桜を唄いながら行進した。
訓練が厳しくて、今日も生き延びたと同僚と話した。
東京大空襲の時かり出され、トラックで運ばれてくる死体を降ろして穴に埋める。死臭が強くてご飯も食べられなかった。
集団的自衛権が実行されれば退職者が増えると思う。
そうすれば徴兵制が敷かれる。


*Sさん(男性)72歳
昭和17年に生まれた。まもなく父が出征したが、昭和19年にマーシャル群島で戦死した。
父親の愛情が分からないので、自分の子供にどう接したら良いか分からなかった。
家内の父親を見て学び、今までずっと父親の役目を果してきた。




絵本の読み聞かせをしているOさんが、戦争に関連した絵本の紹介をしました。
はだしのゲン」は、今年英語版が出版されたそうです。
「キムの十字架」は、朝鮮から強制連行されてきた二人の兄弟が長野県松代で秘密裏に進められていた大本営の壕を掘った。
戦争の為に子供達がどんなにつらい思いをしたか、この絵本を読んでみてください。というお話でした。



まだ体験談は続いていますが、途中で席を立ち女性3人で30人分のすいとんを盛りつけてテーブルに並べました。



すいとんを食べながら、まだまだ体験談は続きました。
私は調理とかけ持ちだったので、全部の話を聞かれなかったですが有意義な時間を過ごすことが出来ました。
12時の時報とともに1分間の黙とうをささげて今日の行事は終了しました。



私がいただいたすいとんです。
美味しかったです。