「追悼・島倉千代子」もう一度見たい熱唱

昨日より気温が上がって、穏やかな快晴になりました。
今日はなごみ農園に仲間たちが集まってお好み焼きパーティー」が行われましたが、まだ痛みがあって車の運転が辛いので欠席しました。
自分の不注意で招いたこととはいえ、今年最後の集いなのでとっても残念でした。



今日の午後1時50分からNHKで放送された「追悼・島倉千代子 もう一度見たい熱唱」を、私が過ごした青春時代から現在までの想い出と重ね合わせて、じっくり観ました。
紅白歌合戦やその他の歌番組に出演した時の映像が次々と流れました。
この世の花・りんどう峠・哀愁のからまつ林・逢いたいなぁあの人に・襟裳岬・からたち日記・東京だよおっ母さん・鳳仙花・などなど、沢山の歌を聴くことが出来ました。
特に昭和30年代から40年代は、みんな貧しいながらも希望を持って一生懸命生きていた時代で、私にとっても当時の歌は一つ一つが想い出深く、走馬灯のように甦ってきました。
鈴を転がしたような澄んだ歌声は心にしみわたり、中でも「りんどう峠」が一番好きな歌でした。
ちなみに夫は歌が上手で会社でも人気者でした。
中でも島倉千代子さんの歌が大好きで良く口ずさんでいました。
歌謡ショーも見に行ったくらいです。


島倉千代子さんは昭和13年東京の品川区に生まれ、7歳の時に太平洋戦争のため長野に疎開しました。
井戸から水を運ぶ途中で、水の入ったビンが割れて左手首から肘までを大怪我をしました。
(手の怪我のことはかなり前のことですが、何処かの番組でご本人が話されたことがありました)
気持ちの沈んでいる千代子さんに母から歌うことを勧められ、16歳の時に「この世の花」でデビューし、半年後にはレコードが200万枚も売れたそうです。
ひばりの歌が大好きで、あこがれでもあり目標だったといいます。
母に支えられ歌手となりましたが、母にそむいてプロ野球の藤本選手と結婚。その頃から母と疎遠になり結婚生活も4年で離婚、その4年後にお母さんは亡くなったといいます。
お母さんが亡くなる前に「普通の親子に戻って東京見物をしたいなぁ」と言っておられたそうです。
その後島倉千代子さんは一人で東京見物をしたといいます。
東京だよおっ母さんは、母と一緒に生きている歌だそうです。
その他にも知人に裏切られ莫大な借金を背負い、その額は10億とも20億とも言われた。
その後乳がんを患い、放射線治療で声が出にくくなるなど、筆舌に尽くしがたい苦難を乗り越えて歌い続けて来られました。
75年の生涯を歌一筋に精いっぱい生きた島倉千代子さんに、心からご冥福をお祈りするとともに、多くの希望と力を与えてくれた歌に心から感謝の気持ちでいっぱいです。