昨日の午後3時に東金市役所に集合し、福岡地区福祉ネット史跡巡りで「東金御殿山・八鶴湖周辺の碑」を散策しました。
風が強く暑い日でしたが総勢20数名が参加しました。
東金市生涯学習課の講師、青木さんから最初に「東金御殿跡」の説明がありました。
案内板にも詳しく書かれておりますので、引用させていただきました。
東金御殿は、徳川家康による「鷹狩り」の命を受けた佐倉城主土井利勝が、慶長18年(1613年)から翌年にかけて、東金代官嶋田治兵伊伯を造営に当らせました。
この御殿は、船橋〜東金間に造られた御成街道の終着点にあり、東金辺での「鷹狩り」を行う将軍(大御所)の祝泊施設でした。
現在、県立東金高等学校が建てられています。
東金城が城山の東麗の敷地(約6,700坪)に玄関・広間・坊主部屋・小姓部屋・書院・鉄砲部屋・弓部屋・老中部屋・台所などの部屋、別棟には鷹部屋・長屋・馬屋・大番所などが建てられました。
ほぼ中央に家康専用の部屋があったといわれていますが、家康の所在を明確にしない事情もあり、絵図には記されていません。
また、小池の拡張工事も行われ、谷池(御殿前池=八鶴湖)と上池に分けたといわれています。
寛永7年(1630年)、大御所秀忠の御成りを最後に鷹狩りは行われなくなり、その後、寛文11年(1671年)に東金が幕府直轄地(天領)から福島の板倉藩領となり、御殿は取り壊され、その一部が小西の正法寺(現在の大網白里市)などに移されたとのことです。
次に東金御殿山「碑の森」を散策しました。
多くの文人たちの歌碑がずらっと並んでいます。
この土地は東金市在住の方の所有地であり、所有者が草刈りや清掃をして管理されているそうです。
午前9時〜午後4時までは、無料で自由に散策出来るそうです。
この前方をどんどん上って行くと、頂上に戦争当時の砲台があるといいます。
八鶴湖散策路で、樹齢の分からない大きな欅の木の下で休憩を
とりました。
人が小さく見えます。
幹の太さも巨大で像のように見えます。
八鶴亭の案内板の前で、八鶴亭の歴史の説明を受けました。
八鶴亭の正面玄関です。
撮影を忘れてしまい、今年の7月28日に撮ったものを掲載しました。
八鶴亭(旧八鶴館)は明治18年の創業で、木造3階建ての数寄屋造り
です。
関東大震災があり、大正〜昭和の初期に建て替えられたそうです。
北原白秋・伊藤左千夫ら多くの文人が訪れ、また、今上天皇陛下が学習院中等科時代の昭和21年に宿泊されたということです。
平成21年5月に国の登録有形文化財に登録されたそうです。
八鶴亭の支配人に畳敷きの大広間に通されて休憩をとりました。
美味しいジュースをいただきながら、八鶴亭の歴史を伺いました。
過去に八鶴亭(旧八鶴館)で地元の大商人たちが豪遊していたそうです。
当時東金には芸者が100人以上いて、とても華やかな街だったとも聞きました。
この場所でお料理やお茶をいただくことが出来ます。
撮影の許可をいただいて撮っております。
続いて二階の宿泊室を案内していただきました。
2回への階段です。上から下を撮りました。
二階から八鶴湖を望む景色が一望できます。
手前はハスが大量に群生しています。
特に桜の季節はここから眺める桜は絶景だと聞いています。
2回の宿泊室は、各部屋ごとにい意匠が凝っていて、特に天井に見応えがあります。
この天井は、1000年以上の屋久杉を使っているとのこと。
竹を組み合わせた天井です。
こちらも竹を使った天井です。
他にも竹を巧みに使った様々な天井や障子、飾り棚などがあって、
その美しい日本古来の伝統技術に感動しました。
遺跡巡りに参加することで、仲々個人では見られない歴史的建造物や遺跡などを自分の目で見て、講師の説明を聞いて有意義な時間を過ごすことができました。