「両国・深川 名所、旧跡」散策・・・続き

昨日からの続きです。
5・・・回向院(えこういん)




明暦3年(1657年)、江戸大火(振袖火事)に依る死者108,000人余を弔うために建立されたそうです。
近くは大正12年関東大震災の死者100,000人余の分骨も納骨堂に安置されています。
天明元年(1781年)回向院で初めて相撲興業が開催された。その頃までは冬と春は江戸、夏と秋は京・大阪とする勧進相撲が定着し、深川八幡宮、浅草蔵前八幡宮神田明神などの境内で行っていた。
天保4年(1833年)から境内の広い回向院を定場所にした。しかし興行形態に問題があって禁止令が出されたりしたが、寛政2年(1742年)に興業慣行が整い、勧進相撲が解禁され年4場所が形成され長らく続きましたが現在は年6場所になりました。
江戸の興業相撲が天下に堂々と認知されたのは寛政3年(1791年)11代将軍家斉の、この回向院での上覧相撲からです。
谷風・小野川・雷電が登場し絶頂期を迎えた。以来、回向院の本場所は数多くの名勝負を刻んで相撲の聖地となった。
その後、関東大震災による焼失、戦火の被害などを受けの都度再建されるも老朽化により、昭和52年解体され跡地にマンションが建った。



現在の回向院と相撲の縁を残すものは、代々各部の年寄りの慰霊碑「力塚」となった。



現在の回向院に来る観光客は、江戸時代100余りの武家屋敷に盗みに入り12,000両を盗んだ罪で、浅草の刑場で処刑された鼠小僧次郎吉の墓に来る人が多い。



何故か墓石を削り、受験生の合格祈願に持ち帰る人が多いそうです。


6・・・吉良上野介

途中、春日野部屋出羽海部屋などの建物を眺めながら歩き、「しおりの中の大石内蔵助」にちなんで、吉良上野介の像が祀られている場所に立ち寄りました。



この井戸は吉良上野介の御首を洗った井戸だそうです。


7・・・松尾芭蕉記念館

江東区芭蕉記念館です。
撮影禁止でざっと見て回りました。



チケットです。


8・・・待望の昼食です。

午後1時を回っていてさすがに疲れが出てきました。
深川 釜匠の深川丼ぶりです。
アサリがどっさりで食べても食べてもご飯が減りません。
アサリの中にご飯がある・・・そんな美味しい丼ぶりでした。
ご飯の味付けは鰹節だという事です。
味噌汁もお漬物も本当に美味しかったです。
食べ切れない人のお持ち帰りにとサランラップも用意されていました。
私は食べ切れずに持ち帰って夕飯にいただきました。
大人数という事もあってアサリも大サービスで1,070円でした。


9・・・清澄庭園

三菱グループ創始者岩崎彌太郎武家屋敷とその周辺3万坪を購入して、社員の慰安や来賓の場として明治13年「深川親睦園」の名で竣工し、名石と松を配した池を望む景観が美しく四季を通じて眺望が楽しめます。
料金は65歳以上は70円で希望者だけ行きました。
紅葉と周辺の風景が水鏡に映って、それは美しい眺めでした。
一緒に散策した友人はこの建物で数人の友と食事会をしたことがあると言って懐かし気に眺めていました。



急に空が曇ってパラパラッと大粒の雨が落ちて来て空に虹が出ました。
陽射しを浴びて美しく輝く紅葉と虹のコラボレーションは素晴らしかったです。


10・・・富岡八幡宮

朱色の大鳥居を見上げながら歩を進めました。



本殿でお賽銭をあげて健康でいられるように祈りました。



参道の脇にガラス張りの建物があり、その中に荘厳な神輿が3基納められています。ガラス越しに神輿を見ることが出来ます。
江戸時代、寛永4年(1627年)に創建された。
江戸三大祭りの一つに数えられる「深川八幡祭り」で有名です。
1基の神輿の狛犬の目に3カラットのダイヤがはめ込まれているそうです。
良く見ると目がキラッと光っていました。



本堂の脇に伊能忠敬銅像がありました。
説明によりますと、寛成12年(1800年)4月19日(陽暦6月11日)55歳の伊能忠敬は、この地から全国測量の旅に出た。


これで散策の旅は終了です。
心地よい疲労と共に素晴らしい見聞をして、皆さん元気でバスで一路東金市へと向かいました。
色々とお骨折りして下さった関係者の方々に感謝申しあげます。