「両国・深川 名所、旧跡」散策

昨日、福岡地区社会福祉協議会主催の「両国・深川 名所、旧跡」散策バスツアーに参加しました。
参加者は当初より2名減って37名でした。
午前8時に福岡公民館を出発、一路東京へと向かいました。
高齢者が多いのでトイレ休憩はまめに取りました。
ガイドは以前こちらに長年住んでおられたという、社会福祉協議会の会長さんです。
雲がやや多かったですが、東京に近づくにつれて青空が広がり風もなく暖かくなりました。
尚、文書は責任者の許可を得て「両国・深川 名所、旧跡、散策のしおり」を抜粋して書きました。



さあ、皆さん「両国・深川 名所、旧跡、散策のしおり」を片手にスタートです。
1番・・・野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)
相撲の神様といわれている野見宿禰(のみのすくね)が祀られております。
横綱が誕生すると、この地で土俵入りが行われるそうです。



歴代の横綱の名前が刻まれた石碑を見学しました。
現役横綱の名前は赤い文字で記されていました。



江戸の町「南割下水」現在の「北斎通り」の説明が書かれた立て札を皆で見ている所です。



2・・・昨年11月にオープンしたすみだ北斎美術館



チケットです。



晩年の北斎が作品を書いている側にいる娘さんの蝋人形です。
かなりリアルでした。
89年の生涯で93回も引越しを繰り返したそうです。
体調を崩した北斎は「あと5年生かしてくれれば真の絵描きになれる」と言い残して、89年の天寿を全うしました。
1999年、アメリカの有名な雑誌「ライフ」が「この1,000年で最も功績を残した100人」に日本人でただ一人北斎が選ばれているということです。



北斎の「富嶽三十六景」です。
画像をタッチすると拡大された画像が見られます。



一筆画譜です。



3・・・東京都慰霊堂
関東大震災でおびただしい死者を出した、旧陸軍の被服廠跡に建てられた東京都慰霊堂
関東大震災では58,000人、東京大空襲では105,000人の遺骨が安置されています。
これらの霊を慰めるため、3月10日には「春季慰霊大法要」がしめやかに行われる。



東京都慰霊堂由来にも詳しく書かれております。



4・・・旧安田庭園案内図



元禄元年(1688年)に造られた汐入式回遊庭園で、満ち潮になると隅田川から潮が入ってくるそうです。
園主は財閥安田善次郎を最後に東京市に寄付され、現在は墨田区立公園になっています。
穏やかな秋晴れで、池の奥の方で結婚式の撮影が行われていました。



両国市街を皆で歩く。
道路脇に横綱の石碑がありました。
手形に手を当てている方がおりますが、曙の手形です。



高くそびえるビルは「霧島」のビルです。
「ちゃんこ霧島」の文字が良く目立ちます。


まだまだ散策の旅は続きます。
この続きは明日掲載いたします。