「第55回千葉県母親大会」に参加して

昨日、成田国際文化会館大ホールにて「第55回千葉県母親大会」が開催されました。
あいにくの小雨の中、すみれ会のメンバーも近隣の地域の方々と一緒にバスで成田まで行きました。
母親大会は「生命(いのち)を生み出す母親は生命を育て生命を守ることをのぞみます」というスローガンと共に、日本で半世紀を超えて続いている運動です。



会場のロビーに置かれている絵手紙の、ウエルカムボードが人目を
引きました。



ここ成田の会場に1200人を超える人達が集いました。



午前10時開会の挨拶があり、オープニングは「成田エイサ美ら海会」による、沖縄の勇壮な舞が披露され、2歳ぐらいの子供から大人まで熱気あふれる舞台を演じてくれました。






来賓挨拶で、成田市長さんのご挨拶がありました。
「母親は子供にとってかけがえのない人です。成田市では中学3年生まで医療の助成や子供のショートステーを行っております。子供が生まれた所で差が出るのはどうかと思う。子育ては地域で支えるべきだ」と話されました。



又、千葉県農民連の代表の方から舞台中央に掲げられているパネルについて説明がありました。
ここに来られない4,000人の方々の貴重なメッセージが貼られている。
母親大会は、母性を持つ全ての女性の集まりです。
千葉県は美味しい米どころですが、今千葉県の米の消費量は年間36万トンで、今年は政府の減反政策で26万トンになり10万トンも不足するというお話もありました。


次に「運動交流のひろば」で、各地域のお母さん達の活動報告や要望がありました。
一部ご紹介します。



浦安市・・・東日本大震災の被災地です。
原発から子供を守ろう」ということで、放射線量測定しマップを作った。


旭市飯岡・・・同じく東日本大震災の被災地です。
大きな被害を受けて仮設住宅が200戸出来た。
衣類や生活物資などの無料マーケットを開いたり、仮設住宅
1軒1軒配った。
最も厚い支援が必要な人が置き去りにされている。
仮設住宅を出てから、復興住宅を建設してほしい。
旭市飯岡を忘れないでください。


成田市・・・ゴミ焼却場の老朽化に伴い、多くの市民が幾つものゴミ焼却場を視察して、大幅に無駄を削減したゴミ焼却場建設の目途がついた。


船橋市・・・野田総理の地元で、消費税増税反対パレードを行った。


佐倉市・・・「子育てを考える会」で保育園の民営化反対署名を3760筆集めた。


どこの地域でも、いかにして放射能から子供を守るか・原発再稼働反対の、若いお母さん達の真剣な取り組みが広がっているようです。



午後の部のオープニングは「新婦人小組」によるフラダンスで
幕を開けました。
華やかな衣装に身を包みしなやかに踊る姿に、会場の皆さんはしばし
見とれていました。
カメラのフラッシュも多かったです。








次に放射能とどう向きあうかー日本でいのちをまもるためにー」という
テーマで、記念講演がありました。
講師はアーサー・ビナートさん(詩人)アメリカのミシガン州出身です。
講演の内容をまとめてみました。
『日本の広島・長崎への原爆投下は、戦争を早く終わらせる為に必要なことだったと、教わった。中学頃までは信じていましたが、その後あやしいと思いながら過ごした。
大学卒業とともに日本に来た。そして数年後に広島の原爆資料館に行って見方が大きく変わった。
ピカドン」という言葉を聞いて、自分の見方が間違っていた。
この言葉は英語にはない。広島の街に立った視点から見た現象だ。
トルーマン大統領が何故原爆を投下したか、そこには膨大な金を使ったマンハッタン計画が極秘に行われていて、政府のごく一部の中枢が知っているだけで副大統領もアメリカ国民も知らなかった。
何故8月6日と9日に原爆を投下したか、戦争の締結を引きのばしてアメリカ国民の生活を守るために原爆を投下する必要があった。
広島の原爆はウラン爆弾・長崎の原爆はプルトニュウム爆弾。
そしてこの2発の原爆投下で戦争が終わり、原爆投下の正当性をPRした。
こうして、戦後マンハッタン計画の利権構想が出来上がった。
その後、水爆実験がビキニ環礁で行われた。水爆は広島の1000倍の威力がある。
アイゼンハワー大統領は、核兵器を作り続ける為に、利権を守る構想キャンペーンを作った。それは原子炉を売る。原子炉でプルトニュウムを作りだす。
しかし、原子炉を売ることが一番難しい。
そこで原子力の平和利用を考え、日本の中曽根首相や正力松太郎氏などが核兵器を手に入れたい為に動いた。
原発は外部への影響はないというが、いつかは外部へ出る。
原発を作ること自体が犯罪だ。原爆と原発は同じ本質であり、核の利権から子供達を守る為に利権の絆を断ち切る必要がある。』



広島・長崎への原爆投下が意味するもの・現在までの核兵器の利権の歴史が良く分かり、拍手がなり止みませんでした。



次に、戦争を支えた「唱歌」の足あと。というテーマで、ないとうひろおさんのコンサートがありました。
「さくらさくら・里の秋・蛍の光・お山の杉の子・野菊・村の鍛冶屋」などなど、戦争という時代に合せて教科書から削除されたり、歌詞を書きかえられたりした深い歴史があることを知りました。
ラストに「折り鶴」を合唱しました。
全ての行事が終わり、大会決議・大会アピールを行なった後に閉会の挨拶があり、無事終了しました。



折りしも成田祇園祭が行われておりました。
お天気も夏空になり太陽が眩しく輝いておりました。
1時間帰宅時間を延ばして、成田山新勝寺へ皆で繰り出しました。
人波で山車も頭しか見えません。
少しでも見える場所を探して歩きました。



太鼓を先頭にこれから街へ繰り出して行くところです。