友人の体験談「被災地を訪問して」

私が参加している里山の会のメンバーのN・Kさんが、先日東日本大震災の被災地を訪問されて体験談を書いて下さいました。
映像で見る被災地と異なり、実際に体験した被災地は想像を絶する状況で言葉が出ないということでした。
この体験談を拝見して、次回訪問される際には私も何かお役に立ちたいと強く思いました。
ここにN・Kさんの体験談を掲載させていただくことで、一人でも多くの方に被災地の思いが伝われば、と願っております。


≪被災地を訪問して≫
7月14日・15日と仙台を中心に被災地を訪問しました。迷惑をかけることになるのではないか、と訪問には迷いもあったのですが、「ぜひ来てください。被災の様子を見て下さい。話を聞いて下さい」というお誘いに、友人と訪問することにしました。


新幹線の車窓からも、屋根が壊れていても修理の手が届いていない家々が沢山見えました。仙台駅はほぼ復旧している様子で、人々もお店も元気に見受けられました。町の中のビルは壁などの修復があちこちで行われていました。
車で1、2時間石巻方面へ走ると一面津波にのまれた町、海岸からずいぶん離れているように見えるのに、何もかも流されている光景が延々と続いています。
3月11日まで、そこには多くの人の普通の生活があったであろう。その思いはいかばかりか、と思うと言葉がありません。


道はがれきが片づけられ、車・木材・金属などに分けられビルよりも高く積み上げられていました。山側には流された冷蔵庫・家の屋根などの手のつかない所もありました。案内して下さった方によれば、夏草が茂っているので見えなくなったものがあるということでした。
児童や住民の方でまだ見つかっていない方々を、大川小学校付近で、捜索の方々が丁寧に丁寧に捜索を進めておられました。


雄勝の町も、小学校・中学校・役場・郵便局・商店街・その他の施設がみんな呑み込まれて人はいませんでした。大型バスが何台もあちこちに流された時のままあって、時間が止まったようでした。
この町の人は暑い中、きっと避難所などで不自由な生活をしているかと思うと一日も早い復興を、と強く思わずにはいられません。


仮設住宅のこと・住宅建設のこと・学校のこと・病院のこと・高齢者施設のこと・沢山沢山話を聞いてきました。
原発のことも色々話してきました。人間の生き方を問われる大きな課題です。
地震津波の被災からの復興も日本中の力を合せないと、と思います。少しでも出来ることをやりたいと思います。


「また来てください。私たちは頑張りますから、応援して下さいね。来て下さることで『ああ、心を寄せてくれる人がいるんだ』と実感できて、元気が出ます。東京に帰ったら皆さんに今日のことを伝えてください」と暑い中を案内してくださった方が、苦労もなかったかのようにおっしゃいました。


今回の訪問は直接避難所を訪問するなどの支援活動ではありませんでした。友人から託された義援金、Tシャツなどを少し届けただけでした。
400kにも及ぶ広範囲のほんの一部を見ただけですが、多くのことを考えさせられた被災地訪問でした。
「また来て下さい」の言葉に答えて、また訪問したいと思います。