8月3日放送NHKスペシャル「原爆の絵」


昨日の午後1時50分からNHアーカイブ「原爆の絵」が放送されました。
28年前に、被爆体験者から2,200枚の原爆の絵が寄せられ、今年広島市と広島NHKで絵を募集したところ1,000枚の絵が集まったといいます。
当時絵を描いた人の70%はすでに亡くなっている。
絵はその時の体験がリアルに描かれていて、目を覆う絵も沢山ありました。
そこには私達の知らない悲惨な事実があり、まさに被爆者の証言です。
ただ放送を見ただけでは忘れてしまうので、断片的ですがまとめてみました。



この絵は輪島市に住む清水さん(84歳)の描いた絵です。
熱線で全身に大火傷をおった若い女性だそうです。
当時清水さんは陸軍の将校で救助に向かう途中に遭遇し、医者ではないから何も出来なかった。水を飲ませただけだった。
終戦後輪島に帰って学校に通い直して医師になり、57年経ってやっと絵を描く気になった。
そして、呪縛から解き放たれた。といいます。



どなたの絵か分かりませんが、原爆が投下されてきのこ雲が上がった様子が描かれています。



安原さん(74歳)が描いた母と子の絵です。
爆心地の1kmの所で見たこの母子が自分の母と妹ではないかとずっと思い続けてきたそうです。
その現場に数えきれないほど通った。なぜ、近寄って遺体を確かめなかったかと自分を責め続けたと。
原爆資料館を訪れたら、同じ場所で同じ方向を向いた母子の絵が他にも何枚かあったそうです。



この絵は加藤さん(74歳)が描いた絵です。
小学校の崩れた校舎の下敷きになっていた生徒を助けてあげられなかったそうです。
ただ、男の子の手を握り締めていただけ。
ここにはありませんが、もう一枚の絵は木の下敷きになっている女の子の手を防火用水で濡らして上げるだけだったと。
名前を聞いたら「吉本なお子」と聞えたそうです。
加藤さんは子供達を救えなかったことを胸に秘めて生きてきた。
70歳を過ぎてこのまま黙っていたら、この子供たちは見捨てられてしまうので絵を描いた。
そして、ようやく子供達を弔うことが出来たと。
その小学校は「段原小学校」といい、足を運んでその当時の記録を見せてもらい、その女の子の名前が「吉本孝子」だと分かったそうです。
加藤さんは亡くなった場所に献花されていました。


また、辰巳さん(女性)は娘の姿を絵で初めて知ったといいます。
ご本人も1.6kmの自宅で被爆したそうです。



この絵は、防火用水の中で真っ赤に焼けて亡くなっている生徒達だそうです。



この地図の赤い印は、絵が描かれた地域を表しているそうです。
爆心地から半径500mの橋のたもとが死者が一番多かったといいます。
川で最期を迎えた姿を描いた絵が多かったそうです。


写真は撮りませんでしたが、他にも数十体の遺体と瓦礫を一緒に積み上げて火葬している絵や、川に浮かんでいるおびただしい遺体など、目をそむけてしまうリアルな絵が多かったです。


「原爆の絵 市民が残すヒロシマの記録」を、今原爆資料館でデータベースの作業が進められており、世界中の人が何時でも見られるようにしたい。ということです。


最後に広島原爆資料館館長の志賀賢治さんが核兵器の非人道性を、絵を通して我が身に置き換えて感じてほしい。生きた証を抹殺してしまう原爆はひどい」と話された言葉が強く印象に残りました。
福島第一原発事故対岸の火事ではありません。
放射能汚染がどこまで広がるのか、被爆の恐怖はこれから何十年も続くことになります。


毎年夏になると戦争や原爆の放送が多くなります。
新聞でも同じような記事が掲載されます。
今こそ、心して歴史の事実をしっかりと受け止め、安部政権の集団的自衛権行使容認」「NO」と言い、憲法9条を守ることが大切だと感じます。



今日の収穫です。