朗読を心棒にして生きて行きたいという友

友人のところにイベントに使うバザー用品(洗剤)を届けながら、スイカ・瓜の浅漬け・落花生の煮豆ミニトマトを持参しました。
お茶をご馳走になりながら、しばしおしゃべりを。
お互いに60歳を当に過ぎて、“これから何を心棒にして生きていくか”が話題になりました。
彼女は今まで生きてきた中で、側にいつも本があったと言います。
今、時々イベントで民話の語りべや、児童館で子供達に本の読み聞かせをしたり、短歌や俳句の会で活動していますが、それはまだ自分の心棒になっていないと言います。
これからは、受け入れてくれれば、様々なイベントに出かけて行って平和をテーマにした本の朗読をすることを自分の心棒にしてみたいと。
大勢の前で朗読するには、まず自分が本の内容を良く理解して表現力をつけることが大切で、声量もいるしエネルギーがいるがやり甲斐があると。
私が「今でも十分に活動しているじゃない。貴方の朗読や語りは聞く人の心を打つよ!」と言うと、「Mちゃんはパソコンという心棒があるじゃない。それにHPの取材で出会った大勢の仲間がいるじゃないの。私も勉強しないと」と言う。
死ぬまで勉強だね。色々失敗しても何一つ無駄なことはないよね。
お互いに協力出来ることをしながら、自分の心棒を生かして行こうね。





帰りがけに「いらない着物だからぞうりの布に使って」と、着物を頂いちゃいました。
涼しくなったら草履を作って届けることします。