映画「約束(名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯)」




昨日、山武市のぎくプラザで、国民救援会によって自主上映された「約束(名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯)」を観てきました。
若き日の奥西勝を山本太郎さんが、その後の奥西勝を仲代達也さんが演じ、奥西勝の母親を樹木希林さんが演じて見応えのある映画でした。
今までに長い年月を費やして無罪になった冤罪事件も数々ありますが、この映画のように未解決の冤罪事件が幾つもあります。
冤罪であっても一旦刑の確定した事件が無罪になることの困難さを、映画を観て考えさせられました。
ざっとですが内容をまとめてみました。

三重県名張市葛尾。奈良県との県境にある小さな村落で、昭和36年3月28日、夜8時から公民間で開かれた懇親会で、ぶどう酒を飲んだ女性の内、5人が死亡、12人が中毒症状を起した事件です。
死亡した5人の中に妻と愛人がいたことから「三角関係の清算」という動機があるとして、奥西が警察に逮捕され厳しい取り調べを受けた。
「うその自白を強要された」と訴えて一審では無罪になったものの、二審は逆転死刑判決が出た。
奥西が逮捕されてから、村人の証言が次々と覆されていった。
昭和47年、最高裁で死刑が確定し、奥西は死刑執行の恐怖と闘いながら今でも無実を訴え続けている。
無実を信じている母のタツノは村を追われ、見知らぬ町一人暮らしをしている。内職をしてお金を貯めると名古屋拘置所に面会に行っている。
タツノは969通の手紙を息子に送った。
再審を待ち続け、無実を信じていたタツノも昭和63年、84歳で亡くなった。
昭和62年、逮捕から26年目、奥西が61歳の頃にもう一人の支援者が現われた。川村富左吉(55歳)さんが突然面会に来た。
川村さんは冤罪の可能性のある事件の救援活動をしている。
肉親と弁護士以外、面会できなかったのを法務省に何回もかけ合って面会が許された。
川村さんは街頭で署名を訴え、徐々に支援者が全国に広がり弁護団も増えて行った。
その間に、奥西死刑囚は胃がんの手術をして3/2を切除した。
事件から44年後の平成17年4月、名古屋高裁で再審開始が決定した。
川村と奥西は名古屋拘置所の面会室でガラス越しに握手をして、今度は晴れて塀の外で握手をしようと約束した。
しかし、検察が異議を申し立て再審は棚上げとなった。
その半年後に川村さんは、約束を果せぬまま心筋梗塞で亡くなった。
こうして弁護団と多くの支援者に支えられて再審開始を目指して闘いは続けられているが、平成24年5月、下山保男裁判長は「毒物は奥西が自白した毒物と矛盾しない」と、再審開始の取り消しを決定した。
裁判所に集まった多くの支援者は愕然として涙をこぼしていた。
そうした中、奥西は肺炎で緊急入院し、病院で面会した鈴木弁護士は、やせ細った奥西の腕に手錠がかけられていると、記者会見で声を詰まらせていた。


映画が終わってから、東海民放クラブ理事 門脇 康郎さんの講演があり、「約束」という映画に関わったいきさつを話されました。
門脇さんは、元東海テレビで「約束」の監修をされたといいます。
原作の「死刑囚の半世紀」が岩波書店から発行されています。
斉藤監督が主役の奥西は仲代達也さんで、母親役は樹木希林さんで、ということで出演交渉が大変だったそうです。
仲代さんはスケジュールが1年先までいっぱいで、付き人さんから1週間だけあいているというのでOKが出たといいます。
樹木希林さんの方は、本物のタツノさんがおられるので、偽物を演じるのは役者としてリスクがあるのでと、断られたそうです。
斉藤監督は、この役は樹木希林さんしかいないと・・・
そこで、希林さんに「死刑囚の母の叫び」を読んでもらって了解を得たそうです。
希林さんは奥西さんの妹さんに会って勝さんの事を知ったといいます。
では、なぜ関わるようになったか。
門脇さんが35歳の時、当時は制作部でカメラマンをしていた。
その頃は死刑囚の再審請求が何件もあって、無罪が何件も出た。
三重県東海テレビの地域内であり、獄中から無罪を訴えていた奥西さんを知って、私にとっても人生の半分の35年間追求を続けてきた。
判決文を読んで、休みを利用して名張に入り村人を一人一人訪ねた。
ぶどう酒の製造元や王冠の製造元、当時の刑事さんの自宅も訪ねた。
一審無罪判決を下した裁判長にも会い、総勢140人ぐらい取材した。
タツノさんも村を追い出されてアパートを転々としていた。
「奥西」と知っただけで追い出された。
最初は家に入れてもらえなかったが、昭和55年、初めて入れてもらえた。
タツノさんの家は、朝夕、ローソクと線香を灯しているせいで部屋が黒ずんでいた。
タツノさんは御本尊しか頼るものがなかった。
タツノさんが「どうぞ助けて下さい」と、土下座して言った言葉は、一生忘れられない。
昭和63年、84歳で亡くなった。
“何かしなければいけない”本格的な取材を始める。
奥西さんは現在東京の医療刑務所で人工呼吸器を付けている。
今87さいです。医師も驚くほど強い生命力だ。
複雑な事件ですが、何とか新しい事実を見つけて生きているうちに助けたい。