一抹の寂しさを感じた迎え盆

昨日13日の迎え盆で実家に行ってきました。
途中、交通渋滞で回り道をしたけれど殆ど車が動かず、こんなことは初めてでした。
県外から来る従兄家族もいるのでお墓に行くのはいつも12時頃で、お墓参りの人もまだ少なかったです。
木々に囲まれた小高い所にある墓地は、カラスアゲハ・アオスジアゲハ・ナガサキアゲハ・トンボなどの昆虫が飛び交い、アブラゼミも短い命を懸命に謳歌していました。
年の離れた小さい孫たちは大喜びです。
お墓にお線香・お花・供物を上げて灯篭に灯りを灯し、その灯りを提灯に移して家に持って帰り仏壇に灯して仏様を迎えたことになります。


やがて賑やかに食事会が始まりました。
お嫁さんの美味しい手料理をご馳走になりながら、従兄の小さい孫たちのはしゃぐ声に笑いが止まりません。
そして、かつては自分たちの孫も来客があるとテンションが上がって家の中を駆けまわったりしていたことを懐かしく思い出しながら、爺婆たちの会話も弾みました。
寂しいことはこのテーブルに家の当主の義弟がいないことです。
義弟は療養型老人福祉施設に入所していて、このテーブルに座れることはないでしょう。
すぐ近くの同級生だった従兄も今年亡くなり、千葉に住む従兄の兄(82歳)も認知症を患い特別養護老人ホームに入所したとのこと。
妹も私も従兄も今では何らかの疾患があり病院と縁の切れない日々を過ごすようになり、お互いに一抹の寂しさを痛感した迎え盆でした。


そして、79歳になる従兄が今の政治の在り方を憂いていました。
今のままでは元来た道に進んでしまうと。
父親を戦争で亡くし、戦後は辛酸をなめた暮しでした。
私達も同じですが、同世代の人たちは同じ苦しみを味わって生きてきたのです。
無邪気にはしゃぐ孫達の姿に平和を願わずにはいられませんでした。


追伸
5時頃家の周辺を歩いてきました。
25分で2,619歩でした。

田んぼの風景もだいぶ黄色くなってきました。
田んぼを渡ってくる涼風は心身ともに癒されます。
もう1週間もすると方々で稲刈りが始まります。
実りの秋の田園風景は心が豊かになりますね。



草藪には早くもセンニンソウが咲いています。