今、6人に1人の子供が貧困だという

子供の日も終わり子供達も通常の生活に戻りました。
どんどん貧困の格差が広がって6人に1人の子供が貧困だと言われております。
2〜3日前、ふと目にしたある新聞記事・・・終戦直後の悲惨な時代を思い出させるような内容でした。
少なからず、私も終戦直後の厳しい生活は経験してきた一人で思わず涙がこぼれました。
そして、市役所でも警察でも助けを求める勇気がなかったのかと・・・
それすらも思い付かないほど心が病んでしまったのかと。
子ども達は日本の宝であり、子ども達に明るい未来が約束されなければ当然日本は衰退します。
参考までに全文をご紹介します。

『今を生きる子どもたち』 貧困と格差の拡大のなかで(文中仮名)
「お母さんの財布に3円しかない」
東海地方の小都市に住むコウスケ(13)が、中学校の養護教諭に告げたのは、寒さも厳しくなった秋の終わりでした。
不登校気味で教室に入れず「保健室登校」のコウスケ。母親も学校の敷地内に入れず、養護教諭は学校の外で母親と会ってはコウスケのことを相談していました。この日「3円しかない」というコウスケの訴えに、ただならない事態を考えた養護教諭は、すぐに市のスクールソーシャルワーカーに連絡して対策を講じました。
  ぽつりぽつりと
つばのある帽子とマスクで顔をおおい、うつむきかげんで表情を見せない母親は「息苦しい」といって支援団体の建物に入れませんでした。何かにおびえるように震えていました。下から冷え込みが立ち上がってくるような路上で、一緒に外に出たスタッフに「ごめんなさい」「ごめんなさい」と繰り返す母親。
「あなたのせいではないですよ」と肩を抱くスタッフにぽつりぽつりと、生活の状態を語り始めました。  
母親は10年ほど前に離婚し、パートで働きながらコウスケを育ててきました。児童扶養手当をもらったこともなく、いつもぎりぎりの生活でした。
少し前に「リストラ」といわれて解雇されました。1年半ほど前からガスと水道が止められ、家賃の滞納もありました。
トイレは近所の公共施設ですませ、風呂は数日に1度銭湯に。学校に行けないコウスケと二人、昼間は外に出ず、息を潜めるように過ごして、銭湯にも人目につかないよう夜遅い時間に行きました。
  頼れる人もなく
所持金が底をついても、なすすべがありません。1人で働きながら必死になって子どもを育ててきた母親には、誰も頼れる人がいなかったのです。
スタッフは「しばらくここで、食事とお風呂と洗濯ができますからね」と支援団体の居場所について説明し、ほかの人の入らない事務所に母親とコウスケを入れて、食事を出しました。
居場所に子どもを通わせることをはじめ、当面の生活について相談した母親は、スタッフに「とにかく、あったかいみそ汁がありがたかった」と礼をいって帰っていきました。
後日、支援者が親子のアパートを訪ね、1人ではどうしようもない状態までに散らかった室内を掃除しました。コウスケは「床を初めて見た」とつぶやきました。
それから数ヶ月。コウスケはだんだんと居場所になじみ、自分を表に出せるようになってきました。母親も、居場所に来ている時にはリラックスできるようになりました。「お母さん、よく子どもを手放さないで頑張ってきたね」という支援者たちの思いが伝わったようでした。 

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