歩こう会「地元(福岡地区)を知ろう」

昨日は穏やかな秋晴れでした。
福岡地区福祉ネット主催で「地元(福岡地区)を知ろう」というテーマで歩こう会が行われました。
例年より参加者が少なかったですが、10時に地元公民館に集合して主催者の挨拶の後に自己紹介があり、10時15分に出発しました。



秋の田園風景の中を歩くのは気持ちが良いです。



農業用水路です。
説明によりますと、この上流に真亀川と幸田川が合流していいるのでこの水路を通って水が太平洋に流れている。
昔は田植え時期になると、田んぼが沼になって川幅が200mぐらいになり唯一の交通手段は田舟で、各家庭に必ず田舟があり子供達の登下校も田舟で往来していた。
上の集落で田植えが終わると、南白亀川(なばきがわ)の水門を抜き、水が引けるのでこの辺一帯で田植えが出来るようになる。



説明を受けているところです。
水路に稲を食害するジャンボタニシがコロコロいました。
赤い卵がジャンボタニシの卵だということと、ジャンボタニシを知らない方が何人かおりました。



白幡大権現神社を訪れました。
「白幡」は、源氏の白旗を意味しているそうです。
神社は東向きで、元日に神社の扉を開けると太陽が御神体を照らすそうです。



柳沢吉保の生母の実家だという、立派な長屋門のお宅の前で説明を受けました。生母の実家は昔庄屋で、戦後は村長を務めた由緒あるお宅だといいます。
画像は説明の後、次の目的地に向かって歩き出したところです。
資料によると、柳沢吉保は幼少より、綱吉に近侍し、好学と機敏な才知と忠実さをもって絶大な信頼を得た。
1680年、綱吉が将軍職を継ぐとこれに従って幕臣となり、躍進し側用人に上がって老中をしのぎ、家禄も15万1200石の甲府城主となる。
官位も従四位下少将に達し、松平氏の称号を許された。
しかし、1709年、綱吉の死で権勢を失い、剃髪して保山と号し、駒込六義園に隠居した。



私達の地域も荒れた山林や休耕地が増えています。



城西国際大学のグランドです。
頻繁に野球の試合や練習が行われています。



林の縁にガマズミが赤く熟していてきれいです。
4〜5粒食べてみたら甘酸っぱい味でした。
ガマズミ酒を作ると美味しいと聞いたことがあります。



シナリー化粧品の会社の「シナリの里 秋祭り」を見学しました。
敷地の中に真っ白い噴水が良く目立ちました。
ちなみに、シナリー化粧品は自然化粧品で植物から作っているとのこと。
販売はグループ販売で自然化粧品としては国内でトップメーカーで、会員は25万人だそうです。



館内はまるで美術館のように素晴らしかったです。
会社の担当者から説明を受け、それぞれ自由行動となりました。



お祭りとあって、物産展や様々なブースが出ていて大賑わいでした。
一通り回ってみて、おでんを買って昼食を摂りました。
青空の下でおしゃべりをしながら楽しい時間を過ごし、午後1時に噴水のところに集まり、公民館へ向かい解散となりました。